この記事では、一週間のインド一人旅の様子を皆さんと共有させて頂きます!
まずはじめに、みなさんはインドという国にどんなイメージをお持ちでしょうか!?
みなさんのインドへのイメージがどうであれ、インドという国に興味はお持ちであろうと思います。
では、インドという国は好きですか?!嫌いですか?!
これについては、いろいろな情報を得た筆者としてはかなり二極化しているように感じます。
一人旅を終えた筆者は、「インドが好き」に一票です。
ちなみに一人旅を始める前は、衛生面が頭に浮かんできて、嫌いとまでは言い切れなくてもマイナスな印象でした。
なので今、またインドへ行きたいと思う自分が自分でも不思議です。
自分にとって、インドという国には一言では表せない大きな魅力があります。
そんな筆者のインド一人旅を、自分の思い出の整理という意味を込めてこの記事にまとめます。
また、これから一人旅に挑戦しようという方の参考になれると光栄です。
インド一人旅を決めた動機
皆さんと一緒に旅を始める前に、筆者がなぜインドへの一人旅を決めたのかについて共有させてください。m(__)m
それにはいくつかの要因がありました。
- 価値観を一度ぶち壊したかった
- 比較的、安全とは言い難い異世界な国の雰囲気を味わいたかった
- 未知すぎる国インドに魅せられて、単純に好奇心に従った
- 何かぶっ飛んだ経験をしてみたかった
- 自分を試したかった
大雑把にまとめるとこのような要因が考えられますが、実際はもっといろんな感情があって複雑だったように思います。
1については、これまで日本でほとんどの時間を日本で過ごしてきたことによって、日本人としての視点からしか世界中の情報を得ることが出来ないことに違和感を覚えたからです。
もちろんインドへたった一週間行くだけで180度視点が変わるとは到底思っていませんでしたが、何もしないよりかは明らかに意味があり、今は自分の思いに忠実に従ってみることにしました。
2については、せっかく海外に行くのに安全な日本を出て、また安全な国へ行くことにあまり意味を見出せなかったからです。
もちろん安全な国でゆっくりと心を落ち着かせて観光したいというのならば、筆者も喜んで行きます!
しかし、この時の筆者の心はそのようなものを求めておらず、もっとぶっ飛んだ国で、ぶっ飛んだ経験をしてみたいということを求めていました。
安全なものは最低限で十分でした。
それで、インドという国はこの時の筆者にとって最高にマッチしたように思います。
3については、そのままの意味で、インドという未知な国に魅せられて、YouTubeでは抑えられず、実際にインドの地を踏んだということですね。
4については、2と似ているのですが、大学生の長期休みというこれからの人生でいつ取れるかわからないまとまった休みを利用して、なかなか経験できないことをやりたかったという思いがありました。
5については、好奇心や本当にしたいことを心に閉まっただけにせず、忠実に行動に起こし、自分の思い描いたようにやり遂げられるかをこのインド一人旅で試したかったからです。
そのような思いがあったから誰かと一緒に行くのもいいけど、一人でも行きたい、なんなら一人がいいとさえも思えることが出来たのでしょう。
それでは一人旅の動機についてはこれくらいにして、インドへの旅を始めましょう!
9/14 ついに一人旅の始まり!初日からハラハラ、、、?!
2023年9月14日、この日から筆者のインドへの一人旅は始まりました。
プラスな感情もマイナスな感情も同時に鎖交していたのを鮮明に覚えています。
朝の9時頃、日本の地を離れ、トランジットのため、ベトナムのハノイへ向かいます。
4時間ほどでハノイのノイボイ空港へ到着し、荷物チェック、ボディーチェックをしたのですが、靴まで脱いで検査するんですね、、、
日本の空港ではそこまで要求されなかったため、案外しっかり検査しているんだと少々驚きました。
なので、ベトナムでも他の空港がどのような検査を行っているかはわかりませんが、ハノイのノイボイ空港から他の空港へ向かうときは、簡単に脱げるような靴で来たほうがいいですね。
この後、空港内でインドのデリー行きの便を6時間ほど待ちました。
昼ごはんにフォーを食べること以外に、特に何もすることがなかったです。
夜が暗くなってしまったころに、デリー行きの便に人が集まり始めました。
驚いたことに周りを見ると、もうすでにインド人だらけです。
8割はインド人だったように記憶しています。
飛行機に乗り込んで席に着き、こうなればもちろん隣の人もインド人。
ここから約4時間。
ここで早速、国民性の違いを思い知らされました。
ある人は、まあ大き目な音量でインド映画?を見て、またある人は、まあ大き目な声量で会話し、隣の人はガンガン肘を筆者の席の方まで突き出してきて、、、と、眠くても寝付くことは出来ず、ただひたすら目を閉じて到着を待っていました。
ようやくデリーのインディラ・ガンディー国際空港へ到着し、YouTubeで見ていた数本の手が突き出た壁を見て、インドへとうとうやってきたんだという実感を得ました。
出国審査へ向かいます。
わかってはいたのですが、スタッフの兄ちゃんに無言で首を横に振られた時には、ついもう一度行ってもいいのかを確認してしまいました。
ついに空港の外へ出ます。
時刻は午後11時を過ぎていましたが、キャリーケースを引いている人、軍の服っぽいものを着た人などが多くいました。
そんなことよりも蒸し暑く、空気がかなり汚染されていることが気になりました。
空港を出て数分で粒子が喉に張り付いてくることに、ものすごく嫌悪感を抱いたのを覚えています。
インド人はよく唾を吐きだすというのを聞いていたのですが、この環境なら吐き出したくなる気持ちも十分理解できました。
息をするだけで痰のようなものが出来てくる感じです。
ホテルまでは空港から数キロだったのでウーバータクシーで行けば大丈夫だと考えていました。
これまでウーバータクシーを利用したことはなく、クレジットカードと連携させて使うものだと思い込んでいました。
そこでいざタクシーを呼ぼうとすると、何やらクレジットカードは利用できません。というような文章が表示されました。
クレジットカードは3枚持ってきていたので、3枚とも全て試してみたのですが結果は同じ。
それでインドではウーバータクシーでクレジットカードで支払いをするのは不可能だということを察しました。
旅が始まって早速やらかしました。
そうしているうちに、筆者の周りに多くのインド人が集まり始めました。
「ハロー!ハロー!日本人?!」というように日本語を話す人も数人いました。
ほぼ全員タクシーへ筆者を乗せて、後で高額請求をしてくるのだろう。
そう思い、こうなったら歩いて行ってやると決め、ひたすら歩いていてもずっとついてくる2人のインド人が。
ただその2人が何やら揉めるように口論を始めたので、二人は別のタクシー業者だろうと察し、隙を伺い、ついて来いと言われた方向とは別の方向へ歩きます。
しかし、バレてしまい、この先は車しか通らず歩いていくのは危険だと言われ、引き戻されます。
もうこの人を信じてホテルまで連れて行ってもらうしかないと思い、タクシーに乗り込みます。
その時、現金を持っていなかったのでまずは日本円をインディアンルピーに変えてもらえる場所に擦れて行ってくれと要求し、数10分である場所に着きました。
そこには「Tourist Information」と書いていて、これは動画でよく見ていた旅行会社じゃないのか?!と半信半疑で中に入ると数人の男がいました。
とりあえず、数日間分だと思われるお金だけインディアンルピーに変えておこうと思い、日本円を渡したのですが思っていたよりも少ないお金が返ってきました。
筆者が事前に調べていたレートは1インディアンルピー=1.7円でしたが、返ってきたお金は1インディアンルピー=1.5円だったようです。
この1週間で数回換金をしたのですが、やはりどこも1インディアンルピー=1.5円でした。
実際がどうなのかはわかりませんが、思っていたより少ないお金になってしまったので損した気分になってしまいました。
その場所からホテルは近かったのでここからは歩いていくことにして、それをタクシー業者に伝え、ドキドキしながら請求料金を待っていると、数10ルピーだったので悪徳業者ではなかったことに安堵しました。
そこからのホテルまでの道は近いといってもかなりディープな雰囲気の漂う道で、人だけではなく、野良犬やネズミも多く見かけました。
今思えば、あの時車の下の野良犬を踏みそうになり、もし踏んでいたら噛まれて病院行き、インドに着いて、即インド一人旅は終わっていたのかもしれないと思うと恐ろしくなり、あの時の自分が反射的に回避したことさえも何か奇跡的なことのように思えてきます。
そんなこんなでやっとの思いで目的地であるホテルに到着し、チェックインして早く寝ようと安心しきって、ホテルのスタッフの男に声を掛けます。
もちろん、ブッキングドットコムで予約していたのですが、男は「この建物はホテルではない、隣がホテルだ」と言ってきました。
しかし明らかに隣の建物は締まっていました。
それを伝えると「2週間前にホテルは締まった」と言われ、困惑。
その時にちょうど、バックパッカーらしき大きなリュックサックを背負った欧米人カップルと思われる白人二人が入ってきました。
(この二人、妙にハイテンションでした)
その2人はこのスタッフの男に話しかけ、どうやらチェックインしているようです。
数分待っていると、どういうことか白人二人はこの建物の二階へと上がっていきました。
そこで確信。
この建物はホテルだと。
それを伝えると、スタッフの男は眉間にしわを寄せ、少々都合の悪そうな顔をして、「お前、英語をしゃべっているのか?何を言っているのかわからない」と言ってきました。
さっきまで英語で会話していたじゃないか。
めんどくさくなり、別のホテルを探そうと外に出ます。
この時、インドに着いてすぐに日本の常識は一切通じないと思い知らされました。
しかし、野良犬やネズミがいるような場所で朝が来るのを待つのはつらすぎると思いあきらめきれるわけがありません。
そこで近くにいた男にホテルがないことを伝えると、空いているホテルに連れて行ってくれるようでした。
今度はちゃんとチェックインさせてくれるようです。
しかしあんなことがあったので全く安心できませんでした。
おそらく朝になってチェックアウトするときに高額請求されるだろうと、、、
でもこの時はそんなことよりも今の自分の身の安全の確保が最優先でした。
インドクオリティーな部屋に入ると、クーラーが付いていました。
ご飯も食べておらず空腹な状態で疲れもかなり溜まっていて早く寝ようと思っていたのですが、なぜか体の芯から震えていて、眠れそうにはありませんでした。
クーラーによる寒さによる震えとは明らかに違ったように覚えています。
9/15 インドを代表する建築物「タージマハル」のあるアーグラへ
9月15日の朝、チェックアウトへ向かう。
やはり高額請求されました。
明らかに高かったのですが、あの状況の自分を助けてくれた分だと開き直って払いました。
そのあと、リキシャーを捕まえ、「Hazrat Nizamuddin Delhi」という駅まで向かいました。
その運転手が若く見えたので、年を聞けば15歳だといっていました。
ちょっと運転技術を信じようとはしたのですが、乗って数分で前の車に追突して、安心することは出来ませんでした。
数10分リキシャーで移動するだけで衝撃的な場面に遭遇することが多々ありました。
急に前のリキシャーが止まったと思ったら、絵に描いたように前輪がつぶれてたり、歩道にはバイク、車道にはチャリ、犬、牛。
かと思えば大浸水。
横を見ると銃を持った軍人。
そんなこんなで目的の駅に着きました。
ついてすぐの印象は、「視線が今まで以上にすごい、、、!」ということです。
「写真撮って!」も何度も言われました。
東アジアの人間はやはり珍しいからでしょう。
ですがいくら珍しいといっても、日本の都会は別ですが、日本の田舎にインド人や白人、黒人等の東アジア以外の外国人がいても、99パーセントの日本人は「写真撮って」というだけのために話しかけることはないと思います。
これも国民性の違いでしょう。
インド名物、満員電車っぽいのも見ることが出来たのですが、この時間帯、この駅では思っていたほどのものではありませんでした。
あと、特徴的だと思ったのが、電車の到着を知らせるものなのかわかりませんが、定期的に何かを知らせるための放送の前の効果音がドッキリの時に使われる「タッタラー!」って感じの音っぽいということです。
ポップな感じのハッピーな雰囲気の音なのですが、音も大きく、そういう気分じゃないときに何度も聴くと、逆にイライラしてきそうな音です。
この駅では、掃除するためなのか車のようなものがプラットフォームを動き回ります。
人が前にいても容赦なく「どけ!」と言わんばかりにクラクションを鳴らしてきます。
観察していて思わず見入ってしまったのが、地面から放水して電車にかけている時でした。
これも車両をきれいにする為なのでしょうか。
こんな感じで天井に取り付けられた電子掲示板に、これから出発する車両の番号や時間、スケジュール通りなのか遅れているのかなどが表示されます。
しかしいくら待っても筆者の乗る予定だった車両の番号が表示されませんでした。
もったいないのですが次の車両のチケットを入手するほかありませんでした。
それでこんなところにも行ってみたんですが、いくら待っても列が進みませんでした。
待っている時には横からスッと入り込まれたり。
列に並ぶのをやめて、「ixigo trains」というスマホアプリで新たなチケットを入手しました。
人でごちゃごちゃしていた列車に乗り込むとどうやら筆者の取ったチケットは違う車両らしく、隣の車両、隣の車両、、、と移動していくとどんどん人が少なくなり、ある車両に来るとクーラーが付いていて超快適でした。
そこは一番先頭で一番ランクの高い車両だったようです。
同じ部屋になったおじちゃんとも日本とインドのことについてお互い話し合い、仲良くなれました。
その人はITの仕事をしているようでした。
ここでもインド社会がランクで分けられていることをヒシヒシと感じました。
この下に少々汚い写真が写りますが、よりリアルをお伝えさせて頂き、参考にさせて頂ければと思いますので、ご了承ください。
これがインドの一番ランクの高い車両の中に設置されているトイレです。
横に水が付いているのはさすがに使えませんでした、、、
持参したトイレットペーパーでなんとかこの場は対処。
電車で移動していると線路の上に寝転がる人や一般の方々の住宅が見えました。
いろんな状況が人それぞれあるのでしょうが、隣で寝ているおじさんはITという職を手に入れ、一番高い車両に乗っているのに対し、この写真に写る方々を目にすると、またも格差社会をあからさまに突きつけられてようで考えさせられます。
数時間後、アーグラの「Agra Cantt」という駅に着き、その時にはもう、日が沈もうとしていました。
おじさんがサルと戯れていました。
駅を出て、ウーバータクシーで呼んでいた人を探しに行きます。
インドはどこに行っても人の声やクラクションの音がやかましいです。
ニューデリーよりは静かかもと期待していたのですが、対して変わらないというか、もはやもっとやかましいまであります。
ウーバータクシーの運ちゃんを見つけて即ホテルへ直行している途中でも衝撃的なことはあったのですが、特に驚いたのがこの馬車です。
筆者の乗っていたリキシャのすぐ左、超ぎりぎりをを逆走するようにものすごいスピードで走っていきました。
西洋の影響を受けたような見た目なのが気になって、後程電車の中で一緒になったおじちゃんに聞いてみたところ、その人はイギリスによる植民地の名残ではないかと言っていました。
アーグラでは、「Maya Hotel」という地球の歩き方にも載っている評価の高めなホテルを予約していました。
結構良かったです。
夜ご飯はターリーを食べました。
インドでは左手は不浄の手とされ、食事するときに左手は使うことは許されず、右手でチャパティー(ナンの小さいやつみたいなの)をちぎり、そのままカレーなどに付けて口に運びます。
右手ばかりが器用になりそうです。
ちなみにインドのスイッチやコンセントは大体こんな感じだと思います。
スイッチがたくさんあって、エアコンの操作がどれかわからず困ることがありました。
9/16 今回の一人旅のメインの一つ「タージマハル」へ!
この日、筆者は夢に見たあの「タージ・マハル」を目の前にすることが出来ました!
美しすぎて、何度も門を通り抜けました。
実際に行ったことのある方には気持ちを理解していただけるのでは、、、?!
門に近づくと、光で門の奥が真っ白で何も見えないのですが、ある所まで行くと、その白い光が映画のワンシーンのように消えていき、その奥にタージマハルが現れます。
その様子が美しすぎました、、、!
こんな感じのところを通過して、皇帝シャー・ジャハーンの妃ムムターズ・マハルの眠っている部屋へ入ることが出来ます。
中は写真、動画は禁止されていましたので、入る直前の写真のみ。
(実際は数人の人はルールを守らず、写真を撮っていました。)
次はアーグラー城へ向かいました。
タージマハルからそれほど遠くはない距離にあります。
たまたま中学生か高校生と思われる子たちと一緒になりました。
写真撮っての嵐が凄まじかったです。
(なんか写真撮ってるところを撮られてる気が、、、)
しかし、多くの男子からは「写真撮って」と言われたのですが、女子からはそれは皆無でした。
宗教的なものだから、あるいはシャイだからなのか、、、
こんなにも男女差があると疑問を抱かずにはいられないですね。
全体的に赤い岩でできた城であり、緑もコントラストのようにあるため、とても印象に残っています。
実はこの日の朝、朝食を済ませて、一人でウーバータクシーでタージマハル、アーグラ城を見に行こうと考えていたんですが、日本語を話すインド人に話しかけられ、「こっちでタクシーを手配するから大丈夫だ」と言われました。
あの時は、ホテルのスタッフと仲良さそうに話していたため、この人もホテルのスタッフなのかと思っていたのだが、今となれば、確実に違うとわかります。
この時ぼったくりの罠にはまっていたとは気づきませんでした。
アーグラ観光を終え、荷物を預けていたホテルに戻ると、そのインド人がアーグラの特産品を見に行こうと言って、筆者をタクシーに乗せました。
どこに連れていかれるのかと思っていると、着いた場所の壁には日本語で「地球の歩き方掲載」と書いている。
怪しすぎたのですが、確実に旅行会社だと察しました。
「ラージ」という日本語を流暢に話すインド人の男の人がいて、フレンドリーに話しかけてきます。
確かに壁には多くの日本人と一緒に写っている写真が貼られ、さらには数年前のバージョンの地球の歩き方にラージさんの文字が。
これでも疑ってはいたのですが、連絡先には日本人がたくさんいて、日本語に限らず、多くの言語でレビューも書かれていて、高い評価を見せられ、信用するように言われます。
疑ってばかりでは楽しくないとも思い、半信半疑くらいまでに信じました。
これからどこに行くのか、どうやって行くのかを聞かれ、バラナシに電車で行くことを伝えます。
そして、チケットを見せろと言われ、見せると、「これはキャンセル待ちの状態で乗れるかどうかわからない。あなたは若すぎて、何もわかっていない。僕が電車、ホテル、タクシー全部ツアーを組んであげる」と伝えてきました。
明らかにぼったくられる流れなのですが、淡々とスケジュールを組んで、筆者に提案してきました。
あまりの勢いの良さにいいプランだと思い、納得したようなしぐさを撮ってしまいました。
確かにプランは最高で、ちゃんと手配してくれればほぼ予定通り完璧にインドの旅をすることが出来ると思ってしまいました。
そして請求額が今、冷静になれば明らかに高額すぎたのです。
なんと30,000ルピー。
インドの経済状況を考えれば、あまりにも高額です。
日本人でも高いと感じる値段なのですから、インド人からすればもっと大金でしょう。
なぜ払ってしまったのか、あの時の自分を殴りに行きたい気分です。
しかし、この方は筆者がインドを去る時まで定期的にラインで連絡をくれ、タクシーを手配して、ホテルまで送ってくれたり、観光名所のツアーをしてくれました。
それにしても、あの額を払ってしまった自分がアホすぎるのですが、これのおかげでほぼ完ぺきに予定通りインドでの旅を終えることが出来ました。
まあ、払った後に放置されるというもっと最悪なパターンも考えられたので、まだましだと考え、高額請求の件はあまり考えないように心がけました。
その後、「Tundla Station」という少し離れた場所にある駅まで、車で数10分かけて送ってもらいました。
一体どうゆう状況でしょうか、タイムカプセルを掘り起こしたあとでしょうか。
この後、ついにインドの寝台列車というものを経験しました。
これもまた、インドの旅の醍醐味ですよね。
どっちもぼやけており、申し訳ありません。
写真を撮っておらず、動画を一時停止したものでしか状況をお伝えできるものがありませんでした。
筆者は3段ベッドの一番上で、上体を少しでも起き上がらせると、頭を天井にぶつけるような状況でした。
21時にアーグラを出発して、翌朝の6時に今回の旅で最も訪れてみたかったバラナシに到着するようでした。
なのであの状況で9時間耐久が始まりました。
まあもちろんいつ荷物を持ち去られてもおかしくないような状況なので、とても数時間は寝ることが出来ませんでした。
とはいってもずっと寝るというより、ただ目を閉じていたと言う方が正確だと思います。
トイレの度に、3段ベッドを降りて登ってを繰り返さないといけなかったのは本当にめんどくさかったです。
それもトイレに行っている間に荷物を漁られ、取られてもおかしくなく、毎回大きなバックパックと小さなバックパックの2つを抱えて、トイレまで行っていたからです。
ただひたすら目を閉じて周囲を警戒して、朝が来るのを待ちます。
一応、おやすみなさい。
9/17 ヒンドゥー教の聖地、そしてガンジス川で有名な「バラナシ」へ!
気づけば眠っていたのかと思っていましたが、実際はただ目を閉じていて、これから本格的に眠りそうという時に車内が眩しくなり、半強制的に起こされました。
目覚めは最悪、しかしグーグルマップを見れば、自分がもうすぐバラナシの駅に到着するのを確認、、、!ガンジス川もすぐ近くに、、、!
その時、興奮がかなり高まりました。
そう思っていると、一人の男が「バッテリー??バッテリー??」と言って、寝起きの筆者に話しかけてきました。
スマホを片手に持っていたので、スマホのバッテリーが無くて困っているのだろうと思い、とっさにモバイルバッテリーを探し、手に取り、彼に渡そうとしたとき脳裏に、「もし返ってこなかったらどうしようか、、、」と思い、渡すのを戸惑いましたが、その時にはもう遅く、モバイルバッテリーは彼の手の中にありました。
なにしてんだぁぁぁ!
ろくに眠れず、寝起きと言えば寝起きのような状態の筆者には、躊躇する間もない出来事でしたが、心の中では叫んでいました。
彼は「20分後に返しに来る」と言って、去っていきましたが、もし20分経っても帰ってこない場合、筆者は彼がこの電車のどこにいるのかもわからないし、顔をちゃんと覚えていなかったため、どうやって取り返しに行こうかと考えていました。
そうしている間に、気づけばやはり20分が経過していました。
映画「JOKER」を見たことがある方には、なんとなくわかってもらえるのかもしれないのですが、電車の中で全員がピエロのお面を被っていて、警察が主人公の本物のピエロを探す場面のように、筆者はモバイルバッテリーを貸してしまった男を探していました。
すると隣の車両に移ろうとした時、後ろから筆者を呼び止めるような声が聞こえ、振り返ると見覚えのある顔が、、、!
彼でした。
この写真からわかるように、首にカードを掛けていますよね。
あとここは車両と車両の間です。
そこで寝るのは客ではないですよね、、、?!
インドなら全然あるのでしょうが。
この人、この鉄道会社のスタッフではないかと思うのです。
片手にはウイスキー。
朝、6時前からウイスキーは流石すぎます。
でもちゃんとモバイルバッテリーは返してくれました。
数10分話していると、車両の速度が落ちてきました。
彼とお別れの時です。
やっぱり日本から遠く離れたところに一人で来ていて、自己防衛の為、疑いたくなくても疑わずにはいられず、最初は彼をも疑ってしまっていたのですが、本当に愉快な善人だと話していてわかりました。
電車を降りると、ラージさんが手配してくれたタクシーの運ちゃんがすぐに迎えに来てくれました。
またまたあってすぐわかる愉快な人でした。
「Varanasi Jn.」という駅に到着。
早朝の6時というのにも関わらず、多くの人です。
タクシーの運ちゃんの車に乗り込みましたが、ろくに眠れていない上、腹も減っていて、日本と違って常に耳に刺さるクラクションの音を聞いていたりと、疲れがすごく、すぐにでもホテルのベッドに飛び込んでまともな睡眠をとりたいという欲が脳内のほとんどの容量を占領し、ただひたすらバラナシの街並みを窓ガラス越しに眺めていました。
すると、ホテルに着き、そのスタッフと思われる男がタクシーの運ちゃんと電話で話したのか、筆者は超寡黙だったと聞いたぞと言ってきました。
日本人には休憩が必要です。
日本国内に限らずインドでも。
ちなみに「Hotel Heritage Inn」というホテルに数日間泊まることになりました。
疲れはピークに達していたのですが、ガンジス川がすぐそばにあると考えると、そんなものはどこかへ吹き飛んだかのように、今すぐにでもガンジス川を見てみたい、、、!と思えました。
部屋のキーカードをもらって、それと同時に別のカードを渡され、それが何なのかを聞くと、「Lift Card」と言われ、エレベーター用のカードだとわかりました。
これは後でわかったことなのだが、他の客はこのカードを渡されていないことに気が付きました。
なぜなら、他の客がカードを使ってエレベーターを利用するのを見たことがなく、みんな階段で登り降りしていて、他の客とたまたま一緒にエレベーターに行くと「お前はこのカードがあるから、僕も一緒にエレベーターに乗ることが出来る」と言われたからです。
なぜなのかは全くわかりませんが、そんなことは置いておいて、ガンジス川。
部屋に荷物を置いて、即、ガンジス川までホテルのスタッフなのか、誰なのか全くわからないガイドっぽい人に連れて行ってもらいました。
ガイドっぽいおっちゃんとガンジス川。
本当にデカくて、迫力があります。
ボートに乗りました。
いざ火葬場を目の前にすると、本当に不思議な気持ちになります。
火葬場の周りにはただじっと焼かれるのを見ている人、はしゃぐ子供たち、川に入って何かを一生懸命探しているような人、牛、犬。
もうカオスですよね。
この川に入って何かを探している人たちは、火葬した後の人が身に着けていた金属を探し、それによってお金を得ていると聞きました。
インドで見る光景で、カーストを意識させられることは多々あります。
そういうことも含めて、日本ではなかなか感じることのない不思議な感覚を覚えさせられるのでしょう。
これに後で飛び込んだと考えたら恐ろしいですね。
正確にはここではなく、このもう少し下流なのですが。
帰りに伝説のゲストハウス「久美子ハウス」を発見しました。
あのエメラルドグリーンの建築物の上のやつです。
ここにはあのオウム真理教の麻原彰晃、ミュージシャンで俳優の長渕剛も泊まったと言われています。
後日、歩いて行ってみました。
ボートの料金を払うように言われ、請求されたのは1500ルピー。
また、やらかした。
先に料金を聞いとくべきだった。
でもこれは他の人と一緒にほぼ強制的に乗るようになって、避けようが無かったから。
それと手漕ぎのボートの方が圧倒的に安く、筆者が乗ったのはエンジン付きだったため、まあそんなものかと軽く流しときました。
帰って朝食を食べ、速攻でベッドで寝ます。
てか速攻でホテルのスタッフがめちゃくちゃ親しくしてくれました。
インド人のお客さんや欧米から来たような白人のお客さんもちらほらいる中、スタッフは筆者のところに集まってきて、めちゃくちゃ笑顔で話しかけてきてくれます。
やっぱり東アジアからの客の方が珍しいからでしょうか。
ここでも写真撮影会が始まりました。
数時間後、復活して観光に外に出ました。
日本にゆかりのあるあんなのも壁に描かれてました。
それらが終わると、こんな感じの味のある場所で一緒に観光した人たちと一緒にチャイを飲みながら、過ごしました。
数時間後、お祈りが始まりました。
お祈りのイメージがお固い感じだったので、どんな感じなのか気になっていたのですが、いざ始まると、愉快なメロディーの笛の音や人々の声で結構お祭りのような雰囲気でした。
迎えに来たガイドっぽいおっちゃんの方に掴まって、バイクでホテルまで戻り、夜ご飯を食べようと屋外レストランに行くと、ラッパーっぽいアメリカ人みたいなラフな格好をした大柄な人が席に座っていて、なぜか会ったことがあるかのように同じテーブルでご飯を食べることになりました。
どこから来たのかを聞くと、南インドだと言われ、てっきり欧米の観光客だと思っていたので驚くほかありませんでした。
よくみたらしっかりインド人でした。
その後、カレーを頼み、筆者の分だけでも結構な量があったのですが、この方、自分の分も筆者に分けて下さりました。
有難かったのですが、腹がはち切れるかと思いました。
さらにその後、ホテルを出て、ラッシーや名前を忘れたのですが、お菓子のようなものをおごってくれました。
口のすぐ傍まで戻ってくるような感覚を覚えました。
これでこの日は終わりです。
ガンジス川を目の前にし、さらにボートに乗り、さらに現地の方々と一緒にお祈りをし、最後には友達とご飯を食べ、と充実感が半端なかったです。
明日もいい日になぁれ。
いや確実にいい日になる。
ガンジス川を側におやすみなさい。
9/18 バラナシ観光だ!果たして機会通りの一日になるか、、、?!
最高の一日を最高のホテルで終え、最高の寝起きでこの日は始まりました。
まずは、バナーラス・ヒンドゥー大学内にあるヴィシュワナート寺院へ!
バナーラス・ヒンドゥー大学は、芸術や哲学などインドの民族文化を総合的に研究するために、1916年に設立された大学のようです。
個人的に哲学については本で少し触れた程度なのですが、インドの哲学にも少し興味があるので、インドの伝統的な都市「バラナシ」の大学に来ることが出来ただけでも光栄すぎます。
中はこんな感じです。
建物も美しいですが、民族衣装「サリー」が美しいですね。
現代の多くの日本人が着物や袴を身に着ける機会はかなり限られています。
しかしインドに行くと、民族衣装に身を包む多くの人に毎日出会います。
もちろん、宗教への信仰心の違い、生活スタイルの変化の早さなど様々な要因がありますが、長い歴史を経ても、今なお現代のインド人がその歴史を受け継ぎ、この先も長く廃れることが無いように筆者の目には映って、感心してしまいました。
その後、絹工場を見学して、実際に作られたものを見たり触ったりして、数枚購入しました。
パシュミナも売っていたのですが、日本に帰ってマフラーのように首に巻いていても違和感ないというか、絶対おしゃれなパシュミナも売っていたので購入しました。
実際に帰ってから首に巻いてます。
この後、いったんホテルに戻って昼ごはんを食べ、部屋でゆっくりした後に、またガイドのおっちゃんの車で観光に行くことになっていました。
しかし、一時間ほど待ってもガイドが待ち合わせのホテルのロビーに現れません、、、
ホテルのスタッフにそのことを聞いてみると、そのスタッフがガイドに電話し始めました。
すると、筆者の方にスマホを見せ、そこには子供と戯れるガイドの姿が。
伝えられたのは、「子供の誕生日でガイドはちょっと中止だ」と。
さすがインド。
先に言ってくれ。
結局、この日はあまり観光に回れませんでした。
そのまま、夜になり、ディナータイム。
このカレーとチャパティーとラッシーがマジで!美味すぎました!
期待していたような日にはならなかったのですが、こんな日もあるでしょう。
9/19 引き続きバラナシ観光!今度こそうまくいけ!
昨日は、期待したような日じゃ無かった、、、
インドに来てから毎日胸を躍らせていましたが、この日だって最高潮に、、、!
だって、あのガンジス川の聖地、「バラナシ」だ!
そう期待して部屋からでると、
インドスタイル。
ここホテルです。
ですが、インドなので特に驚くことは無く、早朝のガンジス川へ向かいます。
記憶上では起床が4時30分頃です。
かなり早いように思えますが、ガンジス川の日の出を見る為には余裕を持てて、感覚的に丁度良かったです。
こんな感じで最高にきれいなサンライズでした!
空の色を見ておわかりいただけるように、この二枚の写真にはまあ時間差があります。
しかし、それでも早朝であることには変わりないのですが、すでにこの人の数です。
朝食を食べにホテルに戻ります。
その途中、ガイドが誰かの方を向いて「Take pictures. Lazy man. Lazy man.(この怠け者の写真も撮れ)」と笑いながら、筆者に言ってきたので撮っておきました。
インドっぽくはない朝食ですね。
少々ゆっくりしてから、伝説のゲストハウス「久美子ハウス」をこの目で見てみたいと思い、外に出ようとしたのですが、急にバケツをひっくり返したような雨が降ってきました。
しかしずっと待っていてもいつ止むかはわからないので、思い切って外に飛び出しました。
大雨の中、リキシャーで移動して、これはこれで楽しかったです。
こんな感じの狭い路地を行きます。
ここに一人入る時は、覚悟しました。
天気の悪かったこともあり、昼間でも結構暗く、雰囲気がすごかったです。
ひたすら歩いているとついにそれらしきペイントを見つけました。
ついにたどり着くことが出来ました!
ここにはあのミュージシャンで俳優の長渕剛や、オウム真理教の麻原彰晃も泊まったと言います。
残念ながら久美子さんに会うことは出来なかったのですが、(泊まる予定はなかったので一目見ることが出来れば、程度に期待していたんですが、別の街にいるという情報を通りかかった日本人の方から情報を得ました。)ここに来ることが出来ただけでも、達成感がありました。
結構人気店っぽい「BABA LASSI」というラッシー屋さんにも行ってみました。
ストロベリー味のラッシーを一杯購入し、写真を撮ろうとした時、店員さんに「あぁぁぁ!」って感じで叫んでたので、何かと思ったら、筆者のラッシーでした。
写真にあるように少しこぼれてます。
叫ばれてなかったら、もっと盛大にこぼしてました。
ありがとう、店員さん。
これからガンジス川にある最大のガート、「ダシャーシュヴァメート・ガート」に向かいます。
その近くにいたワンコ達がカッコよくも可愛かったです。
そしてダシャーシュヴァメート・ガートでやっとお祈りを見ることが出来ると胸を躍らせている時でした。
一人の男が、「日本人??日本のどこから??」と流暢な日本語で筆者に話しかけてきます。
この手の商売はインドに来てから、何度もかわしてきた。
スルーしようと逃げようとしたのですが、ついてきます。
この時まで筆者は顔も見てませんでした。
「なんでインド人のこと嫌いになる。インド人のこと嫌いになって、インド嫌いになったら意味ないね。」と片言の日本語で言ってきました。
そんな感じで一緒に歩き続けていたのですが、もう一人大柄なインド人が関西弁で話しかけてきます。
「僕、まんぺー君の動画に出てるよ。青汁王子、水原希子にもあったよ。」と言います。
ここで筆者は少しこの人たちに興味を持ち始めます。
その後、彼らの店に行くと、多くの日本人の写真があり、その大柄な男がYouTubeを開き、まんぺーさんのチャンネルに自分が写っている動画を見せてきました。
ここで筆者は、まんぺーさんのその動画をインドに来る遥か前に見たのを思い出しました。
(まんぺーさんの動画はいつも拝見させていただいてます。)
あのジェイ君だ!
確信しました。
そしてもう一人の男の人はラッキーさん!
この方もいろんな有名YouTuberさんの動画に出演してます。
そしてお店のスタッフの方と思われる方が数人いらっしゃいましたが、もう一人、人気YouTuberというかかなりの成功者のYouTubeに出ている方がいらっしゃいました。
パップサハーニさんです!
ラッキーさん、話しかけて頂き、ありがとうございました!
そして、最初疑ってしまい、申し訳ありませんでした、、、m(__)m
インド初心者にとって善人、悪人を見分けるのはほぼ不可能です、、、
このあとチャイをサービスしてくれたり、明日の予定を考えてくれたりしました。
数時間と長い間、お邪魔させて頂きました。
あまりにも居心地がよかったです、、、!
その予定の一つが、アーユルヴェーダという五千年の歴史をもつインド・スリランカ発祥の伝統医療です!
世界の3大伝統医学には、中国医学、インド医学、ユナニー医学があり、アーユルヴェーダはインド医学にあたります。
体に特に悪いところは無いように思っていたのですが、何より体験できることの方が大事ですね。
記念撮影。
パップサハーニさんがホテルまでバイクで送ってくれました。
インドの道路はいつもスリル満点!!
次の日の朝、パップサハーニさんが筆者のホテルの前まで迎えに来てくれることになりました!
9/20 バラナシ最後の日!やり残したことは、、、沐浴だ!
朝早くから、パップサハーニさんがホテルの前まで迎えに来てくれました。
おっちゃん、絵になりますねぇ、、、!
パップサハーニさんではありません。
インドのスクールバスに、、、
ゴミ収集車??
インドではこんなに狭い道でも、バイクに自転車に犬に牛に山羊に、、、といろんなモノや動物が行きかいます。
バラナシは、というかインドは早朝から賑わいます。
北インドしか見たことがないので、南インドにも行ってみたいですね、、、
南インドは北インドと違って、時間がゆっくり流れているように感じるほど、人々もリラックスしてると聞いたんですが、本当でしょうか、、、?
インドのイメージがまたガラッと変わりそうです。
昨夜、寄らせて頂いたお店に着くと、パップサハーニさんがお香やスパイスを見せてくださいました。
本当に全部ほしくなるくらい香りがよかったです。
お香を購入させて頂き、日本で焚いてます。
ラッキーさんにアーユルヴェーダをできるところまで連れて行ってもらいました。
インドは本当にどこにでも野良犬がいます。
踏まないように気を付けてください。
病院送りになって、インドの旅が崩壊します。
有名人の写真があります。
マッサージももちろん気持ちよかったですが、最後の方の頭にひんやりとした液体が数分間、滴り続けるのも気持ちいいです。
ぜひ、体験してみてください!
ガンジス川の聖地「バラナシ」まではるばる日本から来て、「あれやってないよな」っていうのがあると思います。
そう。
「沐浴」ですよね。
ってことで、撮影はラッキーさんにお願いして、飛び込みました!
ここまで来てやるしかないですよね!
「病気になるかも」なんて考えてはいられませんでした。
しっかり、この二日後にトランジットの為に寄った、ベトナムのハノイで39度の高熱を出しました。
日本で検査したところ、しっかり感染症に感染してしまっていたらしいです。
沐浴と言えば、感染症っていうくらい危険なものだと有名ですが、筆者も気になっていて、身をもって経験できました。
それでもやりたいという方は、その心に従うべきだと思います!
筆者は観たことはないのですが、「ガンジス河でバタフライ」という映画で長澤まさみさんがバタフライをしたようですね。
そんな有名人も、世界中のバックパッカーも入っているのでぜひ!
ラッキーさんの歩き方がイケてます。
って感じました。
パップサハーニさんが軽くご飯に連れて行ってくれました。
何やら「ドーサ」という南インドの料理を試してみるように言われました。
この時、まだ筆者にはその「ドーサ」という料理が何なのか全くわかりませんでした。
十分ほどインド人に紛れ込んで座って、待っていると、、、
ドーサです!
一口目の第一印象は「これ、春巻きやん!」
量はそんなに多くないので、おやつにはちょうどいいです。
最高にうまかったです。
バラナシでは本当にたくさんの素敵な人達に出会うことが出来ました。
デリー、アーグラ、そしてバラナシの三都市しか回ってはいませんが、特にバラナシは強烈に印象に残っています。
そして、このバラナシが大好きです。
この街を出るのは寂しかったですが、これからデリーに向かいます。
今日の夜中にはデリーか、、、
リキシャで「Baranas」という駅に向かう道中で停止した時にちょうど少年の真横で停止しました。
とても穢れの無い笑顔を見せてくれて、その時はただ深く考えず「かわいいな」程度に思っていたのですが、服はかなり汚れ、手に何本もの棒状のものを持っていることに違和感を覚えました。
違和感はやはり間違ってはおらず、すぐに筆者の乗るリキシャに掴まって「Money, money」と言ってきます。
このような光景がインドではしょっちゅうです、、、
日本ではほぼ無い状況に突然遭遇し、とても考えさせられます。
これが現実なんですよね、、、
ここでお金をやってしまうと、次の観光客にもお金を求めるようになると考えられます。
これでこの子たちがずっと生きていけるわけはなく、それはこの子たちの為にもよくありません。
救ってあげたい気持ちは心の中にだけ閉じておきます。
数十分ほどで「Baranas」駅に着きました。
ヤシの木のせいでしょうか。
なんだか南国感、、、!
中の様子はこんな感じです。
また写真を振り返っていて思ったのですが、視線がすごいですね。
撮っている時は、全く気付かなかったんですが、、、
このおっちゃんもすんごい見てる。
一番ランクの高い車両に乗ったので、クーラー適温、ご飯付きでした。
機内食めちゃくちゃおいしかったです。
日本のお米と違い、インドのお米は結構細長いのですが、これはこれで食感もまた違っておいしいです。
タイ米ってやつですかね。
五時間ほどで「New Delhi」駅に到着する予定です。
その間、隣の女性がすんごい裸足の裏を筆者の太ももにくっつけてきたり、スマホから短いテンポで同じメロディーを繰り返すインドらしい曲を大音量で流し、それに合わせて歌うというなんともインドらしいカオスな状況が続きました。
車内は多くの人がそんな感じで、話し声、子供の泣き声、スマホから流れる音やらなんやらかんやら。
ここまで日本人と国民性が異なるのを、五感で実際に感じれるのは本当に面白いし、貴重な経験でした。
めちゃくちゃ面白かったです、ありがとうございました。
23時過ぎに到着です。
空気が一気に蒸し暑いような、埃っぽいような。
三都市を回って、特にデリーにそう感じさせられたのは筆者だけではないはず。
なんとも色鮮やかですよね、、、
名前の通り、デリーの中心の駅です。
ホテルへ向かう道中。
猿、犬、牛、山羊、ネズミは見ることが出来たんですが、象を見ることが出来なかったのが少し残念に思います。
遂に明日はインド最終日。
おやすみなさい。
9/21 インド最終日!首都「デリー」
気づけば、インド最終日、、、!
もうメインのバラナシを通り過ぎて、その満足感が半端ないので、デリーは軽く周ります。
デリーの中でもオールドデリーという街です。
「ジャマー・マスジッド」というインド最大級のモスクです。
色使いといい、左右対称さといい、とにかく美しいですね。
全力ダッシュ少年。
これ後で知ったんですが、「ミナレット」と呼ばれるこの写真に写る左右の塔のようなものに登れるらしいですね。
オールドデリーの街を上から眺めることが出来るようです。
オールドデリーのマーケットの様子。
これにもし頭が引っ掛かったらと考えたら恐ろしいですね。
扉なし満員電車といい、人殺し電線といい、野良犬といい、一歩間違えたら、、、と日本では絶対考えられないところで死を意識します。
インパクトがすんごい。
この雰囲気、結構好き。
サリーではなく、このような少しカジュアル系の服装に首、または肩から布を下げている方が結構多いです。
登校中でしょうか、列になって登校するんですね。
不思議なのが男子の姿がありません。
宗教上の理由でしょうか。
かなり遠くからインド門。
最後に「バハーイー寺院」というお寺に行ってみました。
別名「ロータス・テンプル」というそうです。
人類の平和と統一、男女平等、科学と宗教の調和等を説くバハーイー教という19世紀に創始されたイスラーム系の新宗教の寺院とのことです。
それ故、宗教に関わらず、多くの方が訪れるようです。
ゲートで超適当な検査を受けて、
ひたすら道に沿って歩きます。
インド感がありませんね。
奥に見えるのがロータス・テンプルです。
(完全に写真の角度ミスっとる)
道中で靴を預けて、そこから裸足なんですが、裸足で外を歩くことがない日本人にとっては、めちゃくちゃ地面が熱いと思います、、、
その名前の通り、27枚の花弁を組み合わせた蓮の花をかたどっています。
どこかオーストラリアはシドニーのオペラハウスを連想してしまいました。
その下には水が貯められています。
蓮を意識しているのがわかります。
ちゃんと並びます。
追い越されることはありませんでした。
割り込まれることが無かったのは、最終日にしてインドで初めてでした。
中は撮影禁止でした。
とても静かで、神聖な雰囲気に満ちていました。
しかし、中はとても広く、天井も高く、小さな音も響きそうな感じです。
帰り際に、鳥の群れが寺院に向かって飛んでいき、いい感じの写真を撮ることが出来ました。
インディラ・ガンディー国際空港に帰ってきました。
こんな感じで、空港内の至るところに銃を持った軍人らしき人が多くいます。
ハト侵入。
見つけられますか??
動物へのセキュリティーもユルユルなようです。
空港内はとてもきれいです。
外国から到着して、その国の第一印象として映りますからね。
雰囲気のある像に見守られながら、インドの旅を終えて、ベトナムはハノイへ飛び立ちましたとさ。
インド一人旅終わり!
いかがだったでしょうか、、、?!
インドの旅の雰囲気を感じて頂けていればうれしいです。
しかし、写真と文字を使って、画面越しにすべてを伝えることは出来ません。
次は、実際に皆さんがインドの地を踏み、五感でインドを感じるときです。
きっとその旅が終わったときには、インドに魅了されるような不思議な力を感じて頂けると思います!
最後の最後まで伝えていなかったのですが、旅が終わったときにはクレジットカードの返済が35万円ほど増えました!
タクシーでお土産屋さんに連れていかれた際は、特にクレジットカードでのお支払いはお気をつけください。
それでは!
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