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勝ち組って何だー幸福の得方ー

 最近、友人数人で遊んでいてもやもやすることがあったからここに文字で残す。

ある友人Aが友人Bに対して、「お前は勝ち組で俺は負け組だよ」みたいに言ってて、自分には特に触れることは無く。

そしたら友人Bが友人Aに、「いやお前は負け組じゃない。負け組なのはこっちだよ」みたいなことを遠回しに自分に言ってきた。

冗談を言い合える関係で、めっちゃ笑いながら言ってて冗談なのはもちろんわかるけど、そんなこと突拍子もなく唐突に言われて、いい気持ちがする人なんているわけがない。

これを言われてなんかもやもやして、「勝ち組って何だ。いつ、どこの、何の勝負のことを言ってるんだ」って思った。

だから友人と同じテンションで笑いながら冗談めいて、「いつ負けたんだよ?!」って気づいたら言ってた。

ここまでの話、めちゃめちゃしょうもないけど、「勝ち組、負け組」っていう思考回路をするかしないかで生き方がかなり変わるって思って、これは幸福に生きるための一つの真理だと思った。

よく「勝ち組」とか「負け組」とかカテゴリー化したがる人がいるけど、そんなもので人を判断するのは浅はかだし、もったいない生き方してるなって思う。

結局、「勝ち組」とか「負け組」の概念って他人と比較するから成り立ってるわけで。

このものさしで生きてる人は、勝ち組になることでやっと幸福になることが出来る。

SNSのフォロワー数、いいねの数、なんかもものさしに使われるいい例かも。

そして自分が勝ち組だと思ってる人は、あくまで同じ土俵の人とよくわからない抽象的なものさしで比較してて、勝手に自分は勝ち組だって思い込んでる傲慢な人間だってことに気づいていない。

そして、別の土俵にはまた別のものさしで小競り合いしてる人たちがいることにも。

めちゃめちゃしょうもなくないか。

その土俵で「勝ち組」になっても、別の土俵にまた「勝ち組」がいるわけで、その土俵のレベルが高かったらその土俵の「負け組」よりも自分は弱いかもしれない。

そんなことにも気づかずに同じ土俵で「勝ち組」だからって優越感に浸って、幸福を感じて、その土俵が無くなったときに現実を見て、絶望感に苛まれる。

これを考えてて、思いついたのがColdplayの「Lost!」っていう曲だった。

この曲はColdplayの曲の中でもかなり好きな曲の一つ。

その歌詞の一部は、上のことと全く同じことを別の言語、別の比喩で表現してる。

その一部はこれ。

You might be a big fish in a little pond.

君は小さな池だと大きい魚なのかもな。

Doesn’t mean you’ve won.

でもそれで勝ったとは言えない。

‘Cause along may come a bigger one.

だって、もっとデカいのが来るかもしれないじゃないか。

これに気づいてなくて、勝手に幸福感じたり、絶望したりする人はかなり多いんじゃないかって感じる。

じゃあ、こんな煩わしいものさし捨てたらどうだ。

幸福はどんな時でも自分で探すことが出来るし、決めることが出来るってことに気づくはず。

幸福を得る時に他人を経由しないから、どんな時でもどこにでも幸福はある。ゲームとか何かの勝負みたいな勝敗のはっきりしたもの以外だと、劣等感を感じることは無い。

だって、みんな人生全く違う生き方してて同じものさしではかるなんてナンセンス。

なにをもって幸福だって言えるかなんてみんな違うに決まってる。

同じ環境にいる人でも、心の中はみんな違うから、別の世界で生きてるようなもの。

同じ景色みてるようでも人によって見てるものは違うし。

大都会の情報の溢れる環境だとなおさら顕著にそれが現れるはず。

そんなこんなで勝手に「負け組」認定されたことには全くもって否定します。

そんなしょうもないものさしとっくの昔に捨てて生きてるんで。

今も幸福感に満たされて生きてます。

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